卒業論文作成メモ
卒業論文作成にあたり、参考文献の読書記録及びメモとして作成した。 卒論テーマは「体育会系人間の論理と行動様式」の予定。
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「体育会系」の発生
「遊び」であるはずの「スポーツ」を、「精神修養」の側面をもつ「体育」として行うようになった日本の大学では、「体育会」という独特の社会組織が形成されるようになった。

「体育会」は、スポーツを体育として徹底するため、先輩と後輩の間に一般社会よりも厳しい長幼の序を築いた。後輩は先輩の命令に絶対に反抗できず、闇雲に従うことを強制された。「4年生は神様、3年生は天皇、2年生は平民、1年生は奴隷」など「階級」を公言する体育会も存在した。

なぜ、そのように厳格な先輩後輩の秩序が決められたのか。それは、スポーツを体育化するにあたり、スポーツに含まれていた“反社会的要素”を排除するためである。

本来、スポーツは、単純に競技での実力のみで評価される社会である。年齢や階級、地位や性別によって評価が変わるものではない。しかしスポーツが内包する実力主義は、現実の社会ー特に、長幼の序を重視する日本社会とは相反する、いわば“反社会的要素”であった。本質的に“反社会的”なスポーツを、社会化のための「精神修養」として“体育化するためには、現実社会以上に厳しいルールを定め、行う必要があった。

(玉木正之『スポーツ解体新書』第2章「日本人と体育」NHK出版 2001)
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スポーツから体育へ②(一高野球部の例)
スポーツを身体鍛錬や精神修養に生かす、という考えの最先端を担ったのが、第一高等学校(現・東京大学教養学部。以下一高と記す)の野球部であった。一高野球部は猛練習で知られた。「血尿を流さないような練習は練習とはいえない」という考えで、ボールが身体に当たっても「痛い」と言わず「かゆい」と言って練習に打ち込んだ、投げ込み過ぎから湾曲した腕を木の枝にぶらさがって直したなどの逸話が残されている。それは、「スポーツというふざけたものを遊んでいる」という非難を振り払うためでもあった。

野球に熱をあげていた一高野球部に対しては、「西洋伝来の球技の如きは聊も精神修養に資せざるものなり」という批判が起こった。これに対し一高野球部は、「野球は勿論我国固有の技に有らずして、西洋臭味を帯ぶる事実なりと雖も、然れどもこの技一度、邦人の手に学ばれんか、野球の面目ここに一変して精神を主とし修養に資し品性を研くの具となるなり」と反論した。この理屈を体で示したのが「猛練習」というわけである。

この他、東京師範学校(現・筑波大学)蹴球部にも「凡そ運動はいかなる運動でも、運動そのものが目的ではない。体を練ると同時に精神の修養を為し、他日大いに活動する土台を作るものである」との言葉が残されている。

このように、日本に伝播したスポーツは、「練習万般一に武士的素養を持つ」という考えを軸に、精神修養の道具と考えられ「猛練習」が繰り返されるようになった。そして、そういった猛練習は、当時の大学の運動部によって行われた。

(玉木正之 『スポーツ解体新書』第2章「日本人と体育」NHK出版 2001)

「スポーツ」から「体育」へ①(訳語の変遷)
明治時代の日本人は、今まで日本に存在しなかった「スポーツ」という概念をどう日本語に訳すかについて腐心した。ゆえに、訳語にもさまざまな変遷がみられる。明治初期の英和辞典『和英語林集成』には、動詞sportが「戯れる」「ふざける」「おどける」「じゃれる」、sportsmanは「狩人」と訳されている。この訳語は現在からみると誤訳に思えるがそうではない。sportの語源はラテン語deporatareで、日常生活から離れた「余暇」「レジャー」という意味であった。すなわち、西洋人にとってスポーツとは、日常生活の労働から離れた「余暇」「余技」全般を指し、基本的には「遊び」といえるものであった。(「プレイ」という言葉に表れている)

「スポーツ」という訳語にも、当初は「遊び」という語源を生かした「遊猟」「競馬」「遊戯」「娯楽」といったさまざまな訳語が当てられた。しかしやがて、スポーツの訳語は、「娯楽」「遊び」の要素を抜きにした「運動」「競技」「体育」という言葉に変化していった。それは、「富国強兵・殖産興業」という明治時代の空気の結果だと考えられる。新しい近代日本を建設しようというときに、スポーツで遊ぶことなどできなかったし、また、文明開化以前の「身体文化」である武術の影響もあって、スポーツをただ単に「遊ぶ」のではなく、実社会での「闘い」に有効な身体鍛錬や精神修養に利用しようという考えが生まれてきた。

(玉木正之 『スポーツ解体新書』第2章「日本人と体育」NHK出版 2001)
「スポーツ」の伝来
欧米の文化であったスポーツは、明治時代の文明開化の波に乗り、日本に伝来した。1871~1877年の間に、ベースボール、テニス、陸上競技、ボクシングなどのスポーツが西洋人によって伝えられた。
そうした「スポーツ」を理解するのに明治の日本人は苦しんだ。「スポーツ」という概念にうまく対応する日本語は訳語として存在しなかったためだ。なぜならそもそも日本の身体文化は、西洋のスポーツのように、ゲームの勝敗自体を目的にするものではなかったからである。

(剣術、拳法、空手などは実社会における「闘い」に勝利すべく身体を鍛え、格闘技術を磨くものであったし、相撲も五穀豊穣を祈る神事や、寺社の建築などを目的にした勧進相撲として行われる場合が多かった)

また、日本には西洋のスポーツに多い団体戦の競技が皆無に近かった。万葉時代の「打毬」、平安期の「毬打」、室町~江戸時代の「毬杖」などはあったが、流鏑馬、犬追物など、武家、庶民問わず、団体競技が苦手であったようである。

(玉木正之 『スポーツ解体新書』第2章「日本人と体育」NHK出版 2001)




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