卒業論文作成メモ
卒業論文作成にあたり、参考文献の読書記録及びメモとして作成した。 卒論テーマは「体育会系人間の論理と行動様式」の予定。
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体育会系の能力-日本労働研究雑誌2005年4月号より
就職とOBネットワークの効果についての研究は多くない。OBネットワークの役割を分析した代表的な研究としては、苅谷、沖津、吉原、近藤、中村(1993)や浦坂(1999)などが挙げられる。ただしこれらは主に卒業生全体を議論の対象としており、体育会系卒業生に焦点を当てたものではない。

梅崎(2004)は就職におけるクラブやサークルを通じたネットワークの役割を検証しようとした。
結果、スポーツ系サークル(クラブも含む)の所属者は、第一志望に就職する可能性が高いことを確認しているが、一方で、体育会系であれ文化系であれ、就職口を探す際にクラブ・サークルのOB・OGを直接利用することが決して多くないことを発見している。梅崎はこの結果をもとに、スポーツ系サークル卒業生の成功は、OBネットワークではなく、彼らが活動で養った勉学以外の能力、例えばリーダーシップなどが企業に評価されるためではないかと推論している。

一方、松繁(2004)のなかでは、部活の中で担っていた役割と就職後の昇進の関係を分析した。結果、体育会系卒業生全員が昇進において有利なわけでもなく、また、必ずしも部長やキャプテンが上位の職位に昇進しやすいわけでもないことがわかった。むしろ、その可能性が高いのは、「体育会系のクラブ、サークルでマネージャー、主事、または会計」を経験していた者であるという結果を得ている。

以上の研究結果から推察すると、体育会系卒業生というだけの理由で企業は採用しているのではないことがわかる。また、体力にものをいわせた猪突猛進型の気質を尊重しているわけでもないらしい。(中略)体育会系が優遇されているようにみえるとすれば、部活が能力や適性を磨く鍛錬の場としてある程度適しており、それを経験した者のなかに好ましい人材が多いということの反映に過ぎない。


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帝国陸軍の「兵隊社会」
帝国陸軍の「兵隊社会」は、絶対に階級秩序でなく、年次秩序であり、これは「星の数よりメンコ(食器)の数」といわれ、それを維持しているのは、最終的には人脈的結合と暴力であった。
兵の階級は上から兵長・上等兵・一等兵・二等兵である。私的制裁というと「兵長が一等兵をぶん撲る」ようにきこえるが、実際はそうではなく、二年兵の兵長は三年兵の一等兵に絶対に頭があがらない。従って日本軍の組織は、外面的には階級だが、内面的な自然発生的秩序はあくまでも年次であって、これが階級と混ざり合い、両者が結合した独特の秩序になっていた。
そしてその秩序の基礎は前述の「人脈的結合」すなわち“同年兵同士の和と団結”という人脈による一枚岩的結束と、次にそれを維持する暴力である。(P289)

虚構の階級組織が消失し、収容所で自然発生的な秩序がでてきたときには、その実情がむき出しになり、人脈・金脈・暴力の秩序になった。
(P290)

私的制裁を「しごき」ないしは「秩序維持の必要悪」として肯定する者が帝国陸軍にいたことは否定できない。(P291)

なぜか。なぜそうなるのか。(中略)軍制史の教官だったというA大佐は日本軍創設時に原因があるといった。そのころは血縁・地縁を基礎とする自然発生的な村落共同体が厳存していたころで、その中の若衆制度という、青年期の年次的「組」制度が輸入の軍隊組織と結合し、若衆三年兵組、二年兵組、初年兵組という形になり、その実質には結局手がつけられなかった。その上陸軍は自然発生的な村の秩序しか知らず、組織をつくって秩序を立てるという意識がない。(中略)従って軍人勅諭には組織論はもとより組織という概念そのものがなく、「礼儀を正しくすべし」の「礼」だけが秩序の根本だった。だから外面的な礼儀の秩序が虚礼となって宙に浮くと、暴力とそれに基づく心理的圧迫だけの秩序になってしまった。(P293)
員数主義
軍人勅諭には(中略)書かれざる第6条があり、それは「一、軍人は員数を尊ぶべし」というのが「六条の教えの意味である」これは、軍隊に対する最も痛烈な皮肉の一つであったろう。(中略)「数さえ合えばそれでよい」が基本的態度であって、その内実は全く問わないという形式主義、それが員数主義の基本なのである。(中略)外面的に辻褄があっていればよく、それを合わすための手段は問わないし、その内実が「無」すなわち廃品による数合わせであってもよいということである。(P127~129)

「形式化した軍隊では『実質よりも員数、員数さえあればあとはどうでも』という思想は上下を通じ徹底していた。(P131)

その基本にあるものの一つは、事大主義とともに前述の「目前の仲間うちの摩擦」を避けることを第一義とする精神状態であろう。(P143)

その結果、あらゆる組織は無意味・無目的の自転をはじめ、その“自転”が無意味でないことを自己に納得させるため、虚構の世界に入ってしまう。そしてそれが虚構でないように見せる演技が「気隗誇示」であり、そのため「事実」を口にした者はには「気隗」を持ち出して徹底的な罵言讒謗を加えて、その口を封じる以外に方法がなくなる。(P159)

その虚構を外部に対して支えているものが、「仲間内の摩擦を避ける」がさらに外部へ発展した形の「仲間ぼめ」という詐術だったことである。陸軍くらい、徹底した「仲間ぼめ」の世界はなかった。内部では派閥闘争、集団間の学歴差別と、あらゆる足の引っ張りあいをしていてもひとたび「外部」となれば、徹底した「仲間ぼめ」である。(P167)

帝国陸軍には、客観的な「法」が存在するという意識も、将官であれ二等兵であれ、法に基づく「法的秩序」に等しく従うべきだという考え方も皆無であった。(P269)
一下級将校の見た帝国陸軍
秦郁彦氏が第2次大戦のさまざまな謎をあげておられるが、その中に(中略)「陸軍は最後の最後まで学生を信頼せず、それを戦力として活用しようとはしなかった」ことがある。(中略)「インテリは兵隊に向かない」は、軍だけでなく、いわば全国民共通の認識で、日華事変の頃朝日新聞に「インテリ兵士は果たして弱いか?」といったテーマの記事がある。(中略)こういう記事が出ること自体、「インテリは兵士に向かず、学生は軍人に適さない」という常識があった証拠であろう。軍は最後の最後まで、学生を信用していなかった。しかし、延び切った戦線、消耗率の高い下級幹部の補充等等で、背に腹は代えられぬ状態になったのが昭和十七年だったのである。(P21)

訓練の原則は「馬を調教する」のと全く同じで、説明抜きで個々の実習を積み上げる方式であった。「当時の教育水準では兵隊を訓練するのに、それ以外に方法がない」という意見は、明治中期までは一理あったかもしれぬ。だが日本の教育水準はぐんぐん上昇しているのに、彼らはそれを無視し、それを自己の教育に活用しようとはしなかった(P25)

学生をあれほど信用しなかった軍が、実は学歴偏重主義で、幹部候補生の選抜基準は一に学歴なのである。
なぜこのような方式がとられたのか。その原因は戦場で最も多く消耗するのは下級将校、特に小隊長クラスだということである。階級別戦死比率を調べると、中国戦線では特に、下級将校の戦死率が非常に高い。下級指揮官を射殺して指揮の末端を混乱させるのは確かに有効な方法であり、従って狙撃の格好の標的となったためと思われる。
これへの有効な補充は、士官学校の卒業生を待っていては追いつかないし、また、将来の軍の幹部として養成したものが中・少尉で消耗しては、中堅幹部がなくなってしまう、という配慮もあったであろう。
(中略)だがそれは「学歴を基準とする選抜方式」を正当化はしない。
(P40)

私には連隊のすべてが、戦争に対処するよりも「組織自体の日常的必然」といったもので無目的に“自転”しているように見えた。
事実、この膨大な七十年近い歴史を持つ組織は、すべてが定型化されて固定し、牢固としてそれ自体で完結しており、あらゆることが規則ずくめで超保守的、それが無目標で機械的に日々の自転を繰り返し、それによって生ずる枠にはめられた日常の作業と生活の循環は、誰にも手がつけられないように見えた(P41~42)


日本人と暴力ー「帝国日本陸軍」より
封建制日本には壮士と浪人があった。壮士は、値段をつけたものに買われる、自由契約の暴力ブローカーであった。政治運動ではなばなしい役割を演じてきた。

「この暴力の伝統に、以下に要約する、日本人の心理の特性を加えなければならない。たとえ、あからさまな現行法無視でさえ、暗殺、叛乱でさえ、国家のため、あるいはよりいっそう直截に天皇の名における行為であれば、日本では強力な論理的正当性が与えられる」(P174)
帝国陸軍の家族制度
日本陸軍内では、将校と兵士との間に親密な関係がある。おそらくそれを家族感情と呼べるだろう。日本人はそれを戦友意識と
称する。兵士たちは将校宅を気兼ねなしに全く個人的に訪れ、将校は団結心を高める手段として兵士と酒を酌み交わすのである。(中略)その指揮下にある兵士に対する兄として、将校が認められている関係の中で、家族制度が兵営に普及しているのだ。
日本陸軍での兵士と将校とのこの絆は、ある程度まで、下層中産階級の出身が多い将校グループが当然に持っている兵士への同情に求めることができよう。(P84~85)


日本の社会構造の支柱をなしているものの基礎は、個々の人間が常により大きなグループの意志に従うとする家族制度である。この家族グループ内では投票は行なわれない。会合が持たれ、意見が出される。合意が得られるまで妥協が図られる。(中略)国民が緊密に輸入されている家族的・社会的・政治的生活のなかで、違いを解決する方策としての妥協の哲学を彼らは学習しているのである。

年長者とか別格者が特権を持っている家族会議と同様に、協議と妥協のこの政府にあっては、決定は、各構成員の発言力が同等の比重を持つものではなく、特権者によって大きな配慮がなされるものである。日本の帝国陸軍はこのカテゴリーに属する。とりわけ、戦時にはこのことがあてはまる。(P124~125)


軍人精神を支えた軍の規律
「体育会系」精神は、軍人精神とも密接なつながりがある。戦前の体育教育、あるいはその延長線上にある大学運動部の活動は、富国強兵という国家の物語と連動していたからである。「強健な労働者、兵士」を育成することが戦前体育教育の目的であったし、大学運動部も、スポーツは精神修養であることを証明するため「練習万一に武士的素養をなす」という考えを軸に猛練習を展開した。

「軍人精神が我が上下二千年の歴史を一貫せる忠誠心を神髄とせる士道に其中核を置いて陶冶長成させられたことが、後年陸軍の精強を得る為の最大の素地をなしている。(中略)士道の道義的本髄たる忠誠、廉恥、勇武、信実、礼譲等の諸徳目は我が軍人精神としても主幹をなして依然光彩を放っている。我が士道の特質とも謂うべき死節のごときも亦新制の国軍に於いても継承せられており、結局我が古来の士道の神髄は形禮表現に多少の差等を見つつも我軍人精神のままに燦然躍動している」

軍人訓戒=1878年発布
「軍人ノ精神ハ何ヲ以ッテ之を維持スト言ワバ、忠実、勇敢、服従ノ三約束ニ過ギズ」
「今ノ軍人タルモノハ縦ヒ世襲ナラズトモ武士タル相違ナケレバ武門ノ習イニテ忠勇ヲ宗トスベキハ言フ迄モナキ事ナリ」
「軍人ハ一伍ノ長タルヨリ部下ノ模範ニシテ、上大将ニ至ルマデソノ部下ヲ遇スル事ハ極メテ意ヲ加フベキ事ナリ。寛大ハ部下ノ歓心ヲ得レドモ畏服セシムルコト難ク、号令モ弛緩ニ流レ易シ。高明ノ人ハ苛察ニ失シテ部下ノ歓心ヲ得ザレバ平素令行ナワル緩急人ノ楽従ヲ得ズシテ其用ヲ為シ難シ」
「同僚、同輩又兵士ノ同隊、同伍、戦友等ノ間ハ親懇ノ情意を儘シ、總テ老功者ハ新参ノ者ノ教導ニ任ジ事事丁寧に解釈ヲ与へ公務ノ事ハ厳重ナルヲ主トスルモ苛酷ナル振舞アルベカラズ。新参ノ者ハ事毎ニ老功ノ者ニ聴従シテ抗論ヲナス可ラズ」
「軍人ノ言語ハ寡簡ヲ貴ビ、容儀ハ粛正ヲ貴ビ、動作ハ沈着ヲ貴ビ、應封ハ詳実ヲ貴ビ、飲食財貨ノ事ハ廉潔節倹ヲ貴ビ、武器兵仗ノ取扱ハ鄭重ヲ貴ブヲ主トスベシ」
「軍人タル者服従ヲ守ルノ義務ハ嘗テ間断アル可ラズ。部下トシテハ其長官ノ令スル所不條理ナリト思フ事モ決シテ之を封シテ恭敬奉戴ノ節ヲ失フ可ラズ」

軍人勅諭(1883年)
一、軍人は忠節を尽くすを本分とすべし
一、軍人は礼儀を正しくすべし
一、軍人は武勇を尚ぶべし
一、軍人は信義を重んずべし
一、質素を旨とすべし

将校団教育訓令(1889年)
「軍人精神トハ何ゾ。忠誠ナリ、武勇ナリ、信義ナリ、義務ヲ守ルナリ、質素ヲ旨トスルナリ、禮儀ヲ正シクシテ軍紀ニ服従スル是ナリ。(中略)此軍人精神ナル者ハ其義ノ在ル所ニ當リテハ其身ヲ犠牲ト為スヲ樂ム」
近代日本の社会変動と体育
戦前の体育は、明治維新以降の西洋化、富国強兵、殖産工業という帝国主義的、軍国主義的な目的達成のために、運動・スポーツを手段とする一方的な身体と精神の鍛錬・教化をねらいとした。背景には、明治政府で文相を務めた森有礼の存在がある。彼は1879年に発表した「身体ノ能力」論で、教育が促進させつべき知識、徳義、身体の三能力のうち「我国人ノ最欠ク所ノモノハ、即身体ノ能力」であるとした。日本を国民国家とするためには、子供たちを近代的な身体技術を獲得した主体へと残らず調教されるべきと考えていたのだ。

体育の構成要素である教材、指導者などは全て国家目的のため統制され、教科の内容は、身体の鍛錬を直接の目的とする体操と軍事能力の養成をねらいとする教練が多数を占め、遊戯、スポーツは軽視された。兵式体操によって調教される児童の身体は、明治日本が創出しようとしていた国民国家の枠組みのなかに絶えず布置されていく必要があった。
本来、健康を目的とする体操や、自由と楽しさを本質とする遊戯、スポーツを手段として、わが国に伝統的な精神、徳育の育成を図ったこと、つまり、体育教材における和魂洋才的折衷は、体操、遊戯、スポーツ本来の姿を消失させ、「スポーツ=体育=精神教育」という考え方を導き、それを是認する態度を社会の間に育てたといえよう。明治期の教師には士族出身者が多かったことも拍車をかけた。士族出身者の精神構造にみられる内面的遅れは、文化受容における文化遅滞の1つといえる。

やがて、日清、日露戦争、第1次世界大戦、満州事変、支那事変、太平洋戦争を経験する過程で、兵式体操・教練の採用、軍人の学校派遣など軍部とのつながりを濃くした。

しかし終戦後の体育は、運動・スポーツの実施を通じて、民主主義社会の
形成に有為な成員の確保を基本的な目的とし、健康で有能な身体の育成、将来の運動生活に必要な運動技術の習得、及び民主社会にふさわしい社会的性格の育成などをねらいとしている。画一的な教授・教化ではなく、学習者の発達と興味を重視する自発的、自主的な学習を基調とする。

しかし、教育の民主化を建前と受け止め、実際の授業に関しては、旧体制と同じ方法、考え方で行なう指導者もみられた。体育の授業における教師による体罰、あるいは学校運動部などにおける教師、先輩、上級生などによるしごき、暴力事件の続発や封建的人間関係の残存などは、体育・スポーツの内面的な民主化の遅れを示すものといえよう。
戦前の縦型の人間関係や儒教的社会的性格は、戦前のスポーツ場面における態度や行動に影響を及ぼしたわけであるが、その伝統的なパターンが民主化の波をくぐって、戦後に近代遺制として持ち越され、今日の学校、地域社会、ひろくは世界の運動やスポーツの場で問題をなげかけ、物議をかもしだしている。

(『体育社会学』P159)
(『運動会と日本近代 第1章「ネーションの儀礼としての運動会」P21,22、26)
運動集団の構造と機能
丹羽らは、運動部員のパーソナリティと密接に関連する構造という視点に立って、目標と規範の生成過程から構造化し、その構造化し、その構造に基づいて営まれる部自体の機能を問題にしている。

(以下引用)

まず運動部の目標に関しては、目標の内容(統一的か個別的か)、作られ方(部員の意志の反映の有無、決定権の所在など)そして個人の受け止め方(肯定あるいは否定など)を基準とし、他方、規範に対しては、練習の計画、キャプテンの選出、部則や部の約束ごと(それぞれについて、部員の意志の反映の有無、規範決定の方法、そして最終実権の所在など)を基準として、それぞれの生成過程を検討し、目標と規範の実質的な決定権の所在から、次の3構造型を抽出した。

すなわち第一の型は、決定権が部員以外の者(部長、監督、コーチ、伝統など)にある部員外型、第二は、少数の実力者(部員外者やキャプテン、マネージャー、上級生など)にある首脳者型、そして最後にそれが全部員にある部員型の3構造型である。

これら各構造型における機能を、部員結合の機能、部の目標成就の機能、そして両者の結合した機能の3つに分け検討し次のような結果を得た。


(以下要約)
それによると、部員外型運動部は、戦績からみた目標成就機能が非常に強く、また部員間の結合の性質は、下級生は上級生に対して、権力による命令ー服従関係を示し高圧的雰囲気である。
首脳型運動部は、戦績からみた目標成就機能が強く、また部員間の結合の性質は、下級生は上級生に対して権威による尊敬ー服従関係を示し温情的雰囲気である。
部員型運動部は、戦績からみた目標成就機能は普通で、また部員間の結合の性質は、下級生は上級生に対して、合意による親和的関係を示し親和的雰囲気である。

また、一般に、部員外型と首脳型の運動部では、強制の原理による権力構造を示し、上意下達の垂直的関係が特徴的であるのに対し、部員型の運動部では、協調の原理における民主的構造を示し、平等の水平的関係が特徴的である。

(『体育社会学』P111~112)
運動集団で評価される行動様式
運動集団では、体力や技能、勇気や機智が高く評価され賞賛または支持される。青少年の欲求のうち、社会的参加や社会的承認に対する欲求は特に強いので、集団活動に参加し、そこで適正に評価され、自己にふさわしい地位・役割を得るための努力を惜しまないのが普通である。集団の規範に従わない場合の制裁が特に厳しいので、多くの成員は規範に従おうとする。集団と自己の同一化傾向が強い場合には、自発的に同調行動をとるに違いない。

(『体育社会学』P90)
体育におけるパーソナリティ形成のモーメント
運動場面は、身体的・知的・情動的・社会的側面を同時に持つ全一的な人間行動の場であり、特に高度な体力や技能を要求される身体活動の場なのである。このため自己の能力の限界に直面する機会が極めて多い。自己の体力のなさや、意志の弱さ、不安や動揺、協調心の欠落など、自己の弱点や欠落をまざまざと見せ付けられる機会が多い。現状の肯定は許されない。

(『体育社会学』P89)
スポーツマンシップとフェアプレーの内面化
<スポーツマンシップ>
スポーツを行う人が守るべき行動の基準であり、感情の抑制、相手に対する思いやり、フェアプレーがその主な内容となる。単にスポーツの場でなく、社会生活全般に渡って遵守されることが要求される。

スポーツ宣言
1.スポーツマンは完全な忠誠を持って、ルールの条文と、その精神に従わなければならない。

2.スポーツマンは競技の前後、最中に渡って相手及び審判を尊重しなければならない。彼はどんな状況においても公衆に対し正しい態度を保持しなければならない。

3.スポーツマンは常に自制を保ち、自己の冷静さと尊厳を保持しなければならない。彼は勝利のために最善を尽くすが、敗北に伴う落胆を避け、勝利に伴う傲慢を避けうる。スポーツマンの最上の報酬は、努力から生み出される喜びと、充実している存在の感情である。

<フェアプレー>
スポーツマンシップの中核であり、競技における公明正大を意味する。フェアプレーは力と正義の理想的調和として、闘いに人間的質を与えるものといわれ、スポーツだけではなく全ての競争場面で遵守されることが要求される。

(フェアプレーに関するフランス委員会による)

1.フェアプレーは、相手が、スポーツの交流によって結びつく、ゲームにおける至上のパートナーであることを常に認識することである。

2.フェアプレーは以下によって示される自制の作法である。
ア:率直さと公明正大の精神
イ:勝敗にかかわらず相手を尊重すること
ウ:審判を尊重し協力を惜しまない確固とした精神
エ:みせびらかしでないスポーツマンシップ
オ:相手や公衆がフェアでないときのきっぱりした態度
カ:勝利における謙虚さと敗北における冷静さ

3.フェアプレーは暖かい人間関係を生み出すような、相手に対する寛容の精神である。


こういった規範すなわち協力的態度や公正さ、よいマナーなどの学習は、個人の次元においては、自覚的に、一定の条件下で力一杯の努力をするように促し、社会的次元では、より美しく、より明るい雰囲気を作り出すのに役立っているとみることができる。それはまた、激しい競争場面や繊細な活動場面ほど強く要請される行動様式である。
「体育会系の学生は企業人として必ず伸びる」
11月6日に全日本大学駅伝が行われた。3年生、4年生の選手も目立つ。この時期まで休まず練習を続け、母校の名を背にして大会に出るとなると、就職活動をする時間はほとんどないだろう。

 剣持さんは、こういうアスリートや体育会系学生の就職活動を支援する会社を運営している。

 「体育会系と聞くと、体力とか根性を強くイメージされるかもしれませんが、実際にスポーツを続けている選手やマネジャーは『勝つ』という目的を達成するために、組織で継続して活動しています。これは企業活動と同様なんですね。

 そういう意味では、体育会系の学生は企業の力になる素養をすでに持っているのです」

 しかし、現状の就職活動時期のピークである3年生から4年生にかかる春には、合宿や試合が目白押しの状態だという。他の学生はこの頃から就職活動に本腰を入れ始め、数十社にも応募するのに。

 そこで剣持さんは、体育会系の学生にもできる限りのチャンスを与えたいと、独自の就職支援策を作り上げた。

 「多忙な体育会系学生の平均面接社数は5社程度。総平均の5分の1以下です。でも就職活動の機会が少ないなら、その中で自分を表現できる武器の作り方がある。私はそれをアドバイスしたい。体育会系の学生は粘り強いし、挑戦する意欲も、目標達成の意識も非常に高い。今までやってきたこととシンクロさせていけば、その武器を使いこなすことは比較的容易だと思いますね」

 体を大きく動かし、身ぶりも声も勢いがいい。自身もスポーツが好きでたまらないというエネルギーを放つ。世の中の就職活動、それはそれ。大丈夫、私たちには私たちなりの力とやり方があると訴えてくる。

 剣持さんは、この体育会系の力を新しい価値観、産業と位置づける。そしてその存在が社会の大きな波となって拡大していくことをめざしている。現在の体育会系学生の比率は全体の7%。だが企業人のパワーに換算すると比重はもっと高いのかもしれない。

(アサヒ・コム 就職・転職ヒューマントーク 2005年11月14日 インダス(株)代表取締役 剣持和明氏インタビュー)
リクルートエージェントHPより
会社の風土をあらわす際、「体育会系」という言葉がよく使われるが、実際には同じ体育会でもそれぞれ特徴があるものである。
メジャースポーツとマイナースポーツでは部の雰囲気が違うことがあるし、バスケのような屋内スポーツとヨットなどの自然を相手にするスポーツ、あるいは柔道・剣道といった伝統を重んじるものと、ラクロスなどの新しいスポーツの風土の違いもあるのではないだろうか。

Sさん(25歳)はとても人当たりのよく、笑顔が印象的なメーカー営業経験者。彼の転職動機は「もう、営業はやりたくない」というものだった。

「会社の体育会系のノリについていけなんです。自分はそういうのはどうも苦手で…」と、Sさんは頭を掻いた。
ただ、「体育会系のノリは合わない」と言いながら、彼自身はスポーツが大好きで、週末はジムにいって体を動かすのがストレス解消法だという。活動的な様子は見た目からも感じられ、人を惹きつける話し方ができるSさんは、我々の目に、いかにも営業適性のありそうなタイプに映った。

「たとえば、体育会系の雰囲気がない会社の営業ならどうですか? Sさんならやっていけると思うのですが…」と、いくつか具体的な求人をみてもらうと、Sさんは「相性がよければ…」と、応募に同意してくれた。

我々がピックアップしたのは、実際に入社した人などの話から「和気あいあいとした雰囲気がある」という評判の会社ばかり。書類選考を通過して面接となった企業の多くは、Sさんに良い評価を出してくれたが、肝心のSさんからは次に進みたいという連絡がひとつもなかった。

「どこも自分には合わないような感じがします」
「そうですか…。アットホームな社風だと聞いていたところばかりだったのですが…」
するとSさんはそこで「あ!」と声をあげた。「僕が苦手だと言ったのは、そういうところを含んでいるかもしれません。みんなで一緒に頑張ろうとか、体育会系ってそういうところ、あるじゃないですか」「Sさんは学生時代…」我々が言いかけると、Sさんは質問の内容を察して答えてくれた。
「学生時代は陸上部でした。連携第一ではなく、自分がサボれば、自分の記録が伸びないだけ。逆も同じ。そういう環境のほうが、自分には向いているのだと思います」

スポーツの分類のひとつには、個人競技かチームプレイかというものがある。Sさんにとっては、営業は気合いだなんだと叱咤されるのと同程度に、みんなで業績をあげる、出来なければ連帯責任という風土が、『体育会系』的なものだったのだ。

結局、Sさんは若手営業の人はあまり行きたがらない、直行直帰が多く、自己管理力が求められるA社に転職することとなった。入社後しばらくして、Sさんは我々にお礼の連絡をくれた。
「仕事上のアドバイスが欲しい時は、聞けば親切に教えてくれますが、そうでないときは自分のペースで仕事が進められます。なにより、マネージャーとの関係が常に一対一で、他人との比較で良い悪いではなく、僕が成長しているかどうかでみてくれるのがありがたいですね」
なんとも個人競技出身者らしい感想ではないか。

自分にあった仕事・職場はどんなところだろうと悩んだ時、自分にもっとも向いている(向いていた)スポーツを考えてみるというのは、ひとつの方法なのかもしれない。


体育会系と文化系④
これまでの議論では、「ダウナー系→アッパー系」に関する話題を扱ったが、今度はその逆パターンの場合を考えてみよう。

本稿では、ダウナー、アッパーの分類を映像作品に対する嗜好から行ってきた。すなわち、「ダウナー系=アニメ」、「アッパー系=秘宝系」という単純な図式である。この分類はゲームに対する嗜好からも行うことができる。「ダウナー系=ギャルゲー」、「アッパー系=格闘、シューティング」という分け方だ。そして、この論法を用いれば、アッパー系からダウナー系への移行は、格闘ゲーからギャルゲーへの嗜好変化を伴うと考えることができる。たとえば、『こち亀』の左近寺竜之介がそれで、硬派な格闘ゲームの鬼がギャルーゲーにはまってしまい、やがて人格を崩壊させていくエピソードか語られた。

もちろん、これはゲームだけに当てはまる話ではない。軟派アニメを鼻で笑っていたミリタリー・ファンが、ある日、『CCさくら』に狂ったり、『エヴァ』は哲学だと咆哮を始めたり、「観鈴ち~~ん、ゴールしちゃだめだめ」と、泣き喚き始めるたりすることも大いにあり得ると思われる。人生は危険で一杯だ。


さて、数日間に渡って検討してきた「体育会系と文化系・概論」であるが、ここでまとめに入ろう。

本稿は、とくに後半において、相対立するにもかかわらず、アッパー・ダウナー間の系移行が起こりうることを指摘してきた。これは、最初に触れたように、そもそもの文化系、体育会系の分類が具体的な身体能力に根ざしていた事と関連していると思う。どういうことかというと、最後の苦行とも言うべき高校生活が終わり、保健体育という科目が生活から払拭されると、運動能力で人を評価する場面が劇的に減少し、世界がまるで違ったもののように見えてくるのだ。そこは、体育会系と文化系の分類がすでに無効となった地平である。ゆえに、体育会系への温度差でカテゴライズされたアッパー・ダウナーの分類も枠が弛み、系移行を促進するものと思われる。それは、世界と和解しつつある過程と言ってもよいだろう。
体育会系と文化系③
文化系人間の思惟構造を考察する際に注目されることは、彼らが次のふたつのタイプに分類され得ることである。アッパー系とダウナー系である。

アッパー系:文化系でありながら、体育会系にあこがれを持つ人々のことである。ブルース・リーを師父とあがめる。愛読雑誌は『映画秘宝』。

ダウナー系:体育会系への憎しみは彼の内面で濃縮され、それはやがて世界全体に対するルサンチマン的な感情へと昇華される。他虐と自虐の狭間の中で、彼は思春期的なふらふら内面感をいつまでも抱きつづけるだろう。アニメ、ギャルゲー、ライトノベル…。

アッパー系はジージャンズと同義であり、ダウナー系はおたくと同義であると本稿では考える。『巨人の星』を読んで泣くのがアッパー系であり、笑ってしまうのがダウナー系であると考えてもよい。それではなぜ、こんな分離が文化系の中で起こったのであろうか。

ありきたりな空想ではあるが、彼らが、体育会系というエイリアンと幸福な出会い方を出来たかどうかが、その後の行く末のひとつを決めているような気がする。運動の出来る友だちは、彼を蔑視しなかったか? 体育教師の人格的資質はどうだったのか? 抽象的に言えば、世界の優しさの度合いの問題である。

同じ文化系でありながら、アッパー系とダウナー系は互いに仲が悪い。近親憎悪と言うべきものである。しかし、しょせんは同じ根っこでつながっている。ダウナー系がアッパー系へと移行する瞬間があるのだ。たとえば、「起点→転換点→終点」というハリウッド映画の基本的な構成にあって、転換点における主人公の動機変化が、時として「ダウナー系→アッパー系」という移行になっていることがある。

ちなみに、ダウナー系やアッパー系が体育会系に移行することは、いちおう論理的にあり得ない。精神的な壁は乗り越えられても、体がそれに追いつかない。しょせんブルース・リーには誰もなれないのだ。


ハリウッド映画では、ダウナー系よりもアッパー系の人間の方が重宝され、「ダウナー系→アッパー系」という移行現象が散見される。たとえば、『マトリックス』や『ファイト・クラブ』を挙げてよい。ダウナー人間はその過剰な妄想によって、アッパーな世界へと到達するのだ。逆にいえば、それはあくまで妄想の中だけのことで、したがって、物理的な実体の伴った体育会系への移行ではない。

娯楽性が追求されるハリウッド映画において、アッパー系が志向されるのは、それなりに理解されやすい話で、直感的に言えば、誰もダウナー系人間の暗い愚痴など聞きたいとは思わないだろうし、また、幅広いユーザーの喚起を促すという点でも、人格がダウナーとアッパーを結果的に併せ持つ語り方が、好まれるだろう。しかし、和製アニメの世界では、ダウナー系人間に焦点が当てられる場合が多い。日本製アニメに特有の陰気な雰囲気は、このことがもとになっていると考えられる。そして、ダウナー系への愛着は、やがてかっこいいものとしてのダウナー系という価値観を提示することになる。サブカルの魔の手が忍び寄ってくるのである。
体育会系と文化系②
運動ができるか否かで、徹底した待遇の差を被ることになる幼年時代。それは幼き精神にとってあまりにも過酷な経験である。特に、運動神経に問題のある人々は、多種多様の哀感を抱くことになるだろう。それはあまりの鈍足さに対する嘲笑であったかもしれないし、集団競技の中での悪性突出に対するあからさまな批判であったかもしれない。

いずれにせよ、このような陰気な青春時代を送らざるを得なかった人々は、ある種の歪んだ人格を形成することになる。文化系人間の誕生である。
体育会系と文化系①
体育会系と文化系という極端な理念型は、運動の得意性・非得意性に基づいて、人間を分類する思考から生まれた。この分類法のもっとも活用されているところが、小学生の生活世界である。例えば“野球をして遊ぶ”という状況を考えてみよう。このとき、最初にやらなければならない行為は、ふたつのチームを作ることである。そして、その普遍的な手順として知られている方法は、次のような物である。

まず運動ができる者が二人、どこからともなく自然発生的に出現して、それぞれのチームの代表者となる。二人はジャンケンをして、一人ずつ自分のチームに入れたいと望むメンバーを選んでいく。容易に想像できるように、運動ができる人間ほど早く選ばれ、最後に売れ残る人間は、運動神経に欠ける場合が多い。

本稿で体育会系と呼ばれる人間は、ここで言うチームの代表者及び上位選出者と同義である。一方で、文化系人間とは、売れ残り連中のことである。ちなみに、体育会系でも文化系でもない人間(大抵はそうである)は、そうである人々が体験する人生の難儀性からは無縁であるという意味で、幸運な人々と呼んで良いだろう。多くの人々がそれなりに幸運に生きていく。人生とは得てしてそんなものだろう。

ttp://tokyo.cool.ne.jp/abt/diary/diary004.htmlより
体育の社会的機能
体育は、運動による意図的・計画的・組織的な社会化である。浜口恵俊は、デュルケムの「組織的社会化」という教育の定義に従い、教育の社会的機能を体育に援用している。

体育の社会的機能には、社会の維持・存続に働く保守的機能と、社会の進歩・発展を図る進歩的機能がある。

保守的機能として、体育は労働力や兵力など社会的に有用な身体の形成を図り、同時に機能的身体観をもたせることによって社会的に有用な身体形成の動機付けを行い、そのための技術と方法を身につけさせる。
さらに、運動生活における標準的な行動様式(ルール・マナーなど)を学ばせることによって、運動生活の社会的同質性を高め、それを他の社会生活に転移させ、社会生活一般の同質性を保持しようとする。競技や競争を通しての価値観、身体観や運動観、学習指導過程における上下、あるいは水平などの人間関係を通じての規範の内面化を達成することにより、内面的社会統制として働く。

また、進歩的機能として、体育は、現存するさまざまな身体や運動の諸問題を通して、現実社会の矛盾を認識させ、その解決に志向する進歩的、創造的人間を育成するとともに、運動の諸能力の開発を通じて、運動におけるエリートの産出と選別を行い、社会での階層的移動に機能する。

これら諸機能は、社会体制や社会構造の相違に応じて強調点を変える。

(菅原禮 『体育社会学入門』 大修館書店 1975)
制度としての近代体育
運動による人間形成といわれる体育は、産業化や社会的分業の促進によって成立した。生産力が人力を中心とし、労働の分業が未発達で閉鎖的、固定的な伝統的社会では、運動による身体や人間の形成の機能は、生活の中で未分化であり、特定の目的を持つ人々(武士、貴族)を除いては、意図的、計画的、組織的に運動を人間形成のために行なう必要はなかった。
しかし、18~19世紀における産業革命により進んだ労働の機械化、都市化は、日常の自然な生活における身体の成熟を阻害した。産業革命当初には、青少年の著しい高死亡率を示し、多くの生命と健康の問題を生じさせた。
さらに、近代国家における軍事制度は国民皆兵を成立させ、新しい労働形態とともに、新しい身体の面での社会化として、強健な労働者と従順で勇猛な兵士を要求するようになった。

近代体育の制度は、強健な労働者と兵士という新しい身体の面での社会化を中心とした、社会における運動と身体の問題を意図的、計画的、活組織的に解決するために成立したのである。

体育制度の構成要素について、菅原禮は4つの例を挙げている。
①体育の学習・指導に最も広汎な指針を与える一般化された目標あるいは価値
②目標の追求を支配する規制的ルール、規範の中に見出されるルール(教育法規、学習指導要領、スポーツ・ルール、慣行など)
③規範的枠組みのなかでの体育の目標を達成するための個人あるいは集団のエネルギーの動員(体育制度の組織性、機構性、体育人口とその集団性)
④指導者及び学習者が手段として利用可能な状況的用具(教材、知識、情報、資料、経費、物的施設、設備、道具、器具など)

(菅原禮 『体育社会学入門』 大修館書店 1975)

参考文献リスト
<読んで参考にした本>
『スポーツ解体新書』(玉木正之著 NHK出版 2003)※
『体育社会学入門』(菅原禮編著 大修館書店 1975)
『一下級将校の見た帝国陸軍』(山本七平著 朝日新聞社 1976)
『日本帝国陸軍精神教育史考』(河辺正三著 原書房 1980)
『帝国日本陸軍』(ヒリス・ローリイ著 内山秀夫訳 日本経済評論社 2002)
『運動会と日本近代』(吉見俊哉ほか著 青弓社ライブラリー 1999)

<読んで参考にならなかった本>

<これから読む予定、読んでみたい本>
『権力装置としてのスポーツ』(講談社選書メチエ 1998)
『スポーツ文化論シリーズ』(創文企画)
『体育社会学』(大修館書店)

<井上の参考文献>
『タテ社会の力学』(中根千枝)
『文明としてのイエ社会』(村上泰輔)
『日本労務管理史』(間宏)
「体育会系」の発生
「遊び」であるはずの「スポーツ」を、「精神修養」の側面をもつ「体育」として行うようになった日本の大学では、「体育会」という独特の社会組織が形成されるようになった。

「体育会」は、スポーツを体育として徹底するため、先輩と後輩の間に一般社会よりも厳しい長幼の序を築いた。後輩は先輩の命令に絶対に反抗できず、闇雲に従うことを強制された。「4年生は神様、3年生は天皇、2年生は平民、1年生は奴隷」など「階級」を公言する体育会も存在した。

なぜ、そのように厳格な先輩後輩の秩序が決められたのか。それは、スポーツを体育化するにあたり、スポーツに含まれていた“反社会的要素”を排除するためである。

本来、スポーツは、単純に競技での実力のみで評価される社会である。年齢や階級、地位や性別によって評価が変わるものではない。しかしスポーツが内包する実力主義は、現実の社会ー特に、長幼の序を重視する日本社会とは相反する、いわば“反社会的要素”であった。本質的に“反社会的”なスポーツを、社会化のための「精神修養」として“体育化するためには、現実社会以上に厳しいルールを定め、行う必要があった。

(玉木正之『スポーツ解体新書』第2章「日本人と体育」NHK出版 2001)
スポーツから体育へ②(一高野球部の例)
スポーツを身体鍛錬や精神修養に生かす、という考えの最先端を担ったのが、第一高等学校(現・東京大学教養学部。以下一高と記す)の野球部であった。一高野球部は猛練習で知られた。「血尿を流さないような練習は練習とはいえない」という考えで、ボールが身体に当たっても「痛い」と言わず「かゆい」と言って練習に打ち込んだ、投げ込み過ぎから湾曲した腕を木の枝にぶらさがって直したなどの逸話が残されている。それは、「スポーツというふざけたものを遊んでいる」という非難を振り払うためでもあった。

野球に熱をあげていた一高野球部に対しては、「西洋伝来の球技の如きは聊も精神修養に資せざるものなり」という批判が起こった。これに対し一高野球部は、「野球は勿論我国固有の技に有らずして、西洋臭味を帯ぶる事実なりと雖も、然れどもこの技一度、邦人の手に学ばれんか、野球の面目ここに一変して精神を主とし修養に資し品性を研くの具となるなり」と反論した。この理屈を体で示したのが「猛練習」というわけである。

この他、東京師範学校(現・筑波大学)蹴球部にも「凡そ運動はいかなる運動でも、運動そのものが目的ではない。体を練ると同時に精神の修養を為し、他日大いに活動する土台を作るものである」との言葉が残されている。

このように、日本に伝播したスポーツは、「練習万般一に武士的素養を持つ」という考えを軸に、精神修養の道具と考えられ「猛練習」が繰り返されるようになった。そして、そういった猛練習は、当時の大学の運動部によって行われた。

(玉木正之 『スポーツ解体新書』第2章「日本人と体育」NHK出版 2001)

「スポーツ」から「体育」へ①(訳語の変遷)
明治時代の日本人は、今まで日本に存在しなかった「スポーツ」という概念をどう日本語に訳すかについて腐心した。ゆえに、訳語にもさまざまな変遷がみられる。明治初期の英和辞典『和英語林集成』には、動詞sportが「戯れる」「ふざける」「おどける」「じゃれる」、sportsmanは「狩人」と訳されている。この訳語は現在からみると誤訳に思えるがそうではない。sportの語源はラテン語deporatareで、日常生活から離れた「余暇」「レジャー」という意味であった。すなわち、西洋人にとってスポーツとは、日常生活の労働から離れた「余暇」「余技」全般を指し、基本的には「遊び」といえるものであった。(「プレイ」という言葉に表れている)

「スポーツ」という訳語にも、当初は「遊び」という語源を生かした「遊猟」「競馬」「遊戯」「娯楽」といったさまざまな訳語が当てられた。しかしやがて、スポーツの訳語は、「娯楽」「遊び」の要素を抜きにした「運動」「競技」「体育」という言葉に変化していった。それは、「富国強兵・殖産興業」という明治時代の空気の結果だと考えられる。新しい近代日本を建設しようというときに、スポーツで遊ぶことなどできなかったし、また、文明開化以前の「身体文化」である武術の影響もあって、スポーツをただ単に「遊ぶ」のではなく、実社会での「闘い」に有効な身体鍛錬や精神修養に利用しようという考えが生まれてきた。

(玉木正之 『スポーツ解体新書』第2章「日本人と体育」NHK出版 2001)
「スポーツ」の伝来
欧米の文化であったスポーツは、明治時代の文明開化の波に乗り、日本に伝来した。1871~1877年の間に、ベースボール、テニス、陸上競技、ボクシングなどのスポーツが西洋人によって伝えられた。
そうした「スポーツ」を理解するのに明治の日本人は苦しんだ。「スポーツ」という概念にうまく対応する日本語は訳語として存在しなかったためだ。なぜならそもそも日本の身体文化は、西洋のスポーツのように、ゲームの勝敗自体を目的にするものではなかったからである。

(剣術、拳法、空手などは実社会における「闘い」に勝利すべく身体を鍛え、格闘技術を磨くものであったし、相撲も五穀豊穣を祈る神事や、寺社の建築などを目的にした勧進相撲として行われる場合が多かった)

また、日本には西洋のスポーツに多い団体戦の競技が皆無に近かった。万葉時代の「打毬」、平安期の「毬打」、室町~江戸時代の「毬杖」などはあったが、流鏑馬、犬追物など、武家、庶民問わず、団体競技が苦手であったようである。

(玉木正之 『スポーツ解体新書』第2章「日本人と体育」NHK出版 2001)




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