卒業論文作成メモ
卒業論文作成にあたり、参考文献の読書記録及びメモとして作成した。 卒論テーマは「体育会系人間の論理と行動様式」の予定。
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スポーツから体育へ②(一高野球部の例)
スポーツを身体鍛錬や精神修養に生かす、という考えの最先端を担ったのが、第一高等学校(現・東京大学教養学部。以下一高と記す)の野球部であった。一高野球部は猛練習で知られた。「血尿を流さないような練習は練習とはいえない」という考えで、ボールが身体に当たっても「痛い」と言わず「かゆい」と言って練習に打ち込んだ、投げ込み過ぎから湾曲した腕を木の枝にぶらさがって直したなどの逸話が残されている。それは、「スポーツというふざけたものを遊んでいる」という非難を振り払うためでもあった。

野球に熱をあげていた一高野球部に対しては、「西洋伝来の球技の如きは聊も精神修養に資せざるものなり」という批判が起こった。これに対し一高野球部は、「野球は勿論我国固有の技に有らずして、西洋臭味を帯ぶる事実なりと雖も、然れどもこの技一度、邦人の手に学ばれんか、野球の面目ここに一変して精神を主とし修養に資し品性を研くの具となるなり」と反論した。この理屈を体で示したのが「猛練習」というわけである。

この他、東京師範学校(現・筑波大学)蹴球部にも「凡そ運動はいかなる運動でも、運動そのものが目的ではない。体を練ると同時に精神の修養を為し、他日大いに活動する土台を作るものである」との言葉が残されている。

このように、日本に伝播したスポーツは、「練習万般一に武士的素養を持つ」という考えを軸に、精神修養の道具と考えられ「猛練習」が繰り返されるようになった。そして、そういった猛練習は、当時の大学の運動部によって行われた。

(玉木正之 『スポーツ解体新書』第2章「日本人と体育」NHK出版 2001)
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