卒業論文作成メモ
卒業論文作成にあたり、参考文献の読書記録及びメモとして作成した。 卒論テーマは「体育会系人間の論理と行動様式」の予定。
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体育会系と文化系③
文化系人間の思惟構造を考察する際に注目されることは、彼らが次のふたつのタイプに分類され得ることである。アッパー系とダウナー系である。

アッパー系:文化系でありながら、体育会系にあこがれを持つ人々のことである。ブルース・リーを師父とあがめる。愛読雑誌は『映画秘宝』。

ダウナー系:体育会系への憎しみは彼の内面で濃縮され、それはやがて世界全体に対するルサンチマン的な感情へと昇華される。他虐と自虐の狭間の中で、彼は思春期的なふらふら内面感をいつまでも抱きつづけるだろう。アニメ、ギャルゲー、ライトノベル…。

アッパー系はジージャンズと同義であり、ダウナー系はおたくと同義であると本稿では考える。『巨人の星』を読んで泣くのがアッパー系であり、笑ってしまうのがダウナー系であると考えてもよい。それではなぜ、こんな分離が文化系の中で起こったのであろうか。

ありきたりな空想ではあるが、彼らが、体育会系というエイリアンと幸福な出会い方を出来たかどうかが、その後の行く末のひとつを決めているような気がする。運動の出来る友だちは、彼を蔑視しなかったか? 体育教師の人格的資質はどうだったのか? 抽象的に言えば、世界の優しさの度合いの問題である。

同じ文化系でありながら、アッパー系とダウナー系は互いに仲が悪い。近親憎悪と言うべきものである。しかし、しょせんは同じ根っこでつながっている。ダウナー系がアッパー系へと移行する瞬間があるのだ。たとえば、「起点→転換点→終点」というハリウッド映画の基本的な構成にあって、転換点における主人公の動機変化が、時として「ダウナー系→アッパー系」という移行になっていることがある。

ちなみに、ダウナー系やアッパー系が体育会系に移行することは、いちおう論理的にあり得ない。精神的な壁は乗り越えられても、体がそれに追いつかない。しょせんブルース・リーには誰もなれないのだ。


ハリウッド映画では、ダウナー系よりもアッパー系の人間の方が重宝され、「ダウナー系→アッパー系」という移行現象が散見される。たとえば、『マトリックス』や『ファイト・クラブ』を挙げてよい。ダウナー人間はその過剰な妄想によって、アッパーな世界へと到達するのだ。逆にいえば、それはあくまで妄想の中だけのことで、したがって、物理的な実体の伴った体育会系への移行ではない。

娯楽性が追求されるハリウッド映画において、アッパー系が志向されるのは、それなりに理解されやすい話で、直感的に言えば、誰もダウナー系人間の暗い愚痴など聞きたいとは思わないだろうし、また、幅広いユーザーの喚起を促すという点でも、人格がダウナーとアッパーを結果的に併せ持つ語り方が、好まれるだろう。しかし、和製アニメの世界では、ダウナー系人間に焦点が当てられる場合が多い。日本製アニメに特有の陰気な雰囲気は、このことがもとになっていると考えられる。そして、ダウナー系への愛着は、やがてかっこいいものとしてのダウナー系という価値観を提示することになる。サブカルの魔の手が忍び寄ってくるのである。
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